発足ヒストリー
活動を始めた理由
アジアキッズケアの発足
愛する娘の天国への旅立ち
2003年2月9日に、家族の一員であった五女愛奈が亡くなりました。娘は、双子の妹として生まれ、体は小さかったけれども、明るく気だての優しい、ちょっとひょうきんさも持ち合わせた子どもでした。年末に脳腫瘍の手術を受け、約50日の入院生活の後、天国に旅立ちました。
その後、時間の経過とともに、愛する娘の死は神の導きであって意味があるのではないか、娘の死を無駄にせず「子どものいのちを守る」何かをしたいと思うようになりました。
ビル牧師との出会い
しばらくして、ニューヨークのスラム街で活動しているビル・ウィルソン牧師の話を京都で聞きました。彼は少年の頃親に置き去りにされた孤児ですが、麻薬・殺人・子ども虐待等が横行するブルックリンにあえて一人で行き、子どもたちのために日曜学校を始め、希望と神の愛と正しい生き方を語ったのでした。それが、今や毎週22000人の子どもが笑顔で集い、全米が注目するまでに発展しました。
ビル牧師は、「子どもたちは獅子にかまれて助けを求める子羊のようで、私はそれを助けようとする羊飼いにすぎない。子どものニーズがあるなら、私は何度でも命をかけて子どものところに戻るのです。獅子にかまれた子羊を見た時、私たちは、誰かが助けるだろうと見過ごすか、自分で助けに行くかのどちらかです。あなたは、こうした子羊を見たらどうしますか。」と話されました。そして、「あなたが行動を起こしたいと願うなら、今までと同じ事をしていては何も変わらない」と。
「子どものいのちを守る」何かをしたい
長くなりましたが、私はアジアの子どもたちの貧困・飢餓・病気・戦争犠牲等の現状をテレビや雑誌で見てきました。でも、自分とは関係のない世界のこと、誰かが何かしてくれる、自分は財力もなく自分の家庭だけで精一杯と考える傍観者でした。
けれども、こうしたことがきっかけとなり、アジアやアフリカの困っている子どもと家族のニーズに応えて「子どものいのちを守る」働きを始めようと思いました。無力な者ですが、これからの人生のライフワークとして、また障害のある子どもたちと関わってきた経験を生かし、神の導きにより支援の輪が広がっていくことを願って、「アジア キッズ ケア」を発足しました。
活動開始、でも事務所は空っぽ・・・どうすればいいの?
2004年2月、意気込んで事務所開設し、初代HPを公開しました。右も左もわからぬ状態で、2004年7月インドの孤児院に行く牧師に、支援物資6箱を手荷物で託して贈呈してもらいました。その報告をHPにアップすると、支援物資が次々と・・・。
活動初期は、荷造りボランティア参加者0名、資金残金0円の時もありました。反省と出直しを繰り返しながら、参加者にとって魅力ある活動・まごころの草の根活動の大切さに気づかされました。2005年3月からは、継続した荷造りボランティアを開催し、以後、180回を越えて支援物資を届けています。
最新の荷造りボランティアの日程はお知らせをご確認いただき、ぜひご協力とご参加をよろしくお願いいたします。
活動の様子を写真を交えて紹介しています。
送った荷物はその後どうなったんだろう?ぜひご覧ください。
資料請求などは、こちらからお申込みください。
2カ月おきに行っている荷造りボランティアの参加も歓迎します。